2010年 03月 10日
目指せサブフォー、初マラソン完走記-1
 11月29日 第12回ジュビロ磐田メモリアルマラソン
男子10Kmの部
記録 47分39秒

ゴールをした瞬間、なんとも言えぬ達成感を覚えた。
大学時代以来の大会や試合への出場である。
約20年ぶりに懐かしい爽快で心地よい気持ちを思い出した。
フルマラソンを走ろうと思った・・・。



  2009年7月、EOS学園の夏講座を休んだため急に土日が暇になった。
年の前半は精力的に撮影していたので精神的に少し疲れていたかも知れない。
時間が急にできても手持無沙汰なので何かすることは無いかと考えた。

「ちょっと走るかな」ふと思う。

会社に入って来年で20年、体重身長は変わらないもののウェストは7~8cmは大きくなっている。
体重は変わってないのだから筋肉が贅肉に変わったのだ。
はたから見れば、10人が10人とも痩せ型と言ってくれるが、年々きつくなるズボンのウェストは本人にしかわからない。それに長時間座っていると腰痛が出てくる。これも年齢とともに筋肉が落ち、軟骨が劣化しているのだろう。過去の検査では明らかなヘルニアであった。
そんなこんなでとりあえず近所の佐鳴湖畔を走り出した。

佐鳴湖は自宅から約1kmの所にあり1周5.8kmの日本一汚い湖である。往復の距離も入れて1周すると7.8kmとなりちょっと長く思えたが走ってみた。往復の2kmはウォーミングアップとクールダウンと言うことで歩いたりゆっくり走ったりし、湖畔の5.8kmをランニングした。とにかく苦しかった。足はもつのだが息が上がってしまい直ぐにゼイハァゼイハァ状態になる。時間は多分6分/km、35分くらいだったと思う。この頃は持っていたデジタル時計のバッテリーが切れても使わないのでほったらかし状態で正確なタイムを測っていなかった。それでも特別な用事が無い時は土日のどちらか1日は走るようにした。

8月に入り暑さが増したがそれまで通りに週1回のランニングを続けた。お盆休みは3泊4日で旅行に行ったがそれ以外の5日間は連続して毎日走った。世界陸上でボルトが世界新を2つも更新し刺激を受けたせいもあったかもしれない。
この頃、書店で目にとまった雑誌ランナーズを買ってみた。この雑誌の存在自体は10年以上も前から知っていたが、ランニングなんてジャージ着てランニングシューズを履けばできるもの。それ以外に何の情報が必要なのかと思い手にすることは無かったが、今は若い時みたいに体力はないし、少しでも楽に速く走れればと思い情報収集のため買ってみた。読んでいると単語の意味が解らない。サブスリー、サブフォー、LSD、ランスカ、皇居ラン、厚底などなど。昔はこんな単語は無かったはず、まるで浦島太郎状態である。それでも一つだけ明らかになったことがある。世の中、空前のランニングブームらしい。

8月下旬には土日のランニングが習慣になり、何となく10月には佐鳴湖2周、11月には3周、あわよくば12月には4周走れるようになってハーフマラソンくらい出てみたいと無邪気に思いだした。けれども実際は息こそ上がらなくなったが7.8kmはまだまだ辛く自宅から佐鳴湖までの往復分を減らすために湖畔まで車で行ったり、妻に送ってもらったりした。自分で走ろうと思ってやっているのに、あえて距離を短くする。矛盾していることはわかっていたが、しんどさから逃れたい気持ちが強かった。

9月に入り、6月に名古屋で行われたフォトコンテストの結果が発表された。運よくグランプリに選ばれ、妻がお祝いに何かプレゼントしてくれると言うので最新のランニングシューズをお願いした。それまでのシューズは、一応メーカー品ではあるがジャスコで5年以上も前に買った3980円の靴である。雑誌で得た情報をもとに謙虚にミズノの初心者用を選んだのだが正に目から鱗が落ちた。クッションが効いていて足に負担が少ない上にグリップ力もありどんどん前に進む。いままで履いていた靴はいったい何だったのだろう?靴下も2000円くらいのランニング専用を奮発して買ってみたが高いだけのことはあって土踏まずをしっかりサポートし楽に感じる。しかし、嬉しくてどんどん走っているうちに8月下旬から顔を出し始めた足の痛みが本格化した。

まずアキレス腱の付け根付近、ふくろはぎの下が痛くなった。次に右膝外側の腱も痛み出した。アキレス腱はまだ我慢できたが膝は我慢できないくらい痛い。不思議なもので歩くと殆ど痛みを感じないのに走った瞬間激痛が起こる。なんとも厄介である。早速ランニングの本や雑誌を買って調べてみると典型的な初心者症状であることが分かった。アキレス腱の痛みはキックのしすぎ、膝は腸頸靭帯炎いわゆるランナーニーであった。原因はフォームが間違っていることと大腿四頭筋の筋力不足である。

中高大と陸上部に所属し、短距離を専門としていた私はフォームには密かに自信があったのだが、その自信が仇となった。短距離と長距離ではフォームが根本的に異なることを初めて知る。初めから初心に戻って基本を学びなおす気持ちがあったらこんなことにはならなかったかもしれない。写真を撮っている時、私よりキャリアの浅い方に、沢山撮ることと、基本を書物で身につけることを常々勧めてきたが実際自分はできていなかったのだ。滑稽である。人間謙虚さを忘れたらだめだ。

それからと言うもの多くの本を読み漁った。多いものは4回も読みなおしたし、些細なことでも気になった事は都度調べるようにしている。お陰で初心者レベルの知識は付いてきたように思う。膝の調子が良い時はスクワットをして補強するようにもした。知識と同時にランニングやマラソンの奥深さと怖さを感じるようになってきた。

10月も順調に走り続け、初めて佐鳴湖2周に挑戦した。慎重に腰や足の痛みが出ないように最初はゆっくり走ったのだが、1周半を過ぎたことからアキレス腱や膝が痛み出し、走り終えた後も少し頭がくらくらしたがとりあえず2周11.6kmを走り通せた。翌週も2周走って見たが今度は1回目と違い最初から少しだけスピードを上げてみた。1回目と同じく1周半までは問題なく、足の痛みが出ないように摺り足走法の効果もあり順調であった。残り約2km、突然異変が起こる。足が動かない。股関節の痛みもひどい。歩いたり屈伸をしたりしたが痛みは収まらない。走っても痛い、歩いても痛い、止まっても痛い。激痛ではないがどんと重たい、それだったらと、走ることが早く痛みから解放されると観念して我慢しながら走る。最後は足を引きずりながらやっとの思いで家まで辿り着いた。シャワーを浴び横になっていると痛みは次第に消えてきた。要はガス欠を起こしていたのである。この頃は解らなかったが、前半から飛ばし、慣れない距離を走ったため途中で体内のエネルギーを使い果たしてしまったのだ。たった10kmちょっとでガス欠とは何とも情けないことである。

11月に入り、佐鳴湖2周は怖かったので1周を全力で走ってみた。新調したランニング用腕時計の表示は28分台で停止し、1kmを5分以内で走れていたことを示した。自分の成長にいい気になっていたところに、ここでまたしてもアクシデントが起きた。会社で書類を拾う時、腰に激痛がはしる。持病の腰痛が悪化し、軽いぎっくり腰になってしまった。走ることにだんだん慣れ、スピードを上げていたのだが、正しくないフォームやまだ速すぎるスピードに腰が悲鳴をあげてしまった。7月以来初めて2週間走ること止めた。何となく挫折感と安堵感が入り混じった不思議な2週間であったが、安静にしていると次第に痛みが引いたので、またそっと走り出す。約20年ぶりのレース、ジュビロマラソンまで2週間と迫っていた。ここまで来たら焦っても仕方ないし、距離も10kmなので完走は問題ないはず。目標は、1.完走、2.1時間以内、3.55分以内、4.50分以内とし、様子を見ながら決めることにした。

11月28日、いよいよ10kmレース当日。早めに到着したのだがとにかくトイレに時間を取られた。男も女も長蛇の列でかなりの時間をトイレ待ちに使ってしまった。早めに着いていたので時間には余裕があり運よく十分すぎるくらいアップして、いざスタート地点へ。作戦は、まずは2kmをキロ6分ペースで走り徐々に上げて行く、調子を見ながら目標レベルを決め、ひたすら頑張ると言ったなんとも単純なものだ。緊張と不安の中、ジュビロ磐田の中山選手?が雷管を打ちスタートが切られた。全くペース配分も解らぬまま2km地点を通過、タイムはなんと10分ちょうどを指している。予定より2分も速い。練習の甲斐あってか2km10分ではさほど辛さを感じられなかったのでそのまま走ることにする。人間の性か本能か前に人が走っているとどうしても抜きたくなる。一人抜くたびにどんどんスピードがエスカレートして行く。沿道には地元の人たちが適度な感覚で応援してくれ、嬉しい半面、何故か見張られているようでペースを落とすことができない。レースも後半、5kmを過ぎますますスピードが上がっている。久しぶりに体感するスピードに酔いしれる半面、フォームも呼吸も滅茶苦茶。ようやく自制心が働いたのは残り2kmになったところだった。このままだったら最後の急坂は登れない、いくらなんでも飛ばしすぎだ、少しペースを落とそう、そう思った瞬間60歳は超えているだろう白髪ランナーにあっという間に追い越された。1番高い目標の50分はもう切れないけど1時間かかることもなかろうと思い込んで、最後の急坂は歩くようなスピードで死にそうになりながらゴールした。心臓が口から出るような感覚とはこんな事かと初めて実感した。一番高い目標は達成できなかったが、ただゴールに辿り着いた瞬間、何とも懐かしい爽快感が体中に広がる。ストップウォッチに目をやると時計は47分26秒で止まっていた。???どうやらラスト2kmで時計を見間違えたか、見たけど判断できていなかったようだ。40歳を過ぎて生まれて初めての長距離レースを5分/km以内のスピードで走れたのだから結果には十分満足した。そしてフルマラソン出場を決意した。翌日筋肉痛でのたうち回ったのは言うまでもない。

11月中に、冗談半分で応募しあっけなく落選した東京マラソンの代わりに3月に行われるフルマラソンに申し込み、ついでに1月3日の矢作川新春ハーフマラソンと2月7日森町ロードレース(ハーフマラソンの部)にもエントリーした。申し込んだのは篠山マラソンで、私が中学生の頃に始まった市民マラソンの草分け的大会だと思う。大学時代に一度は走ろうと思ったのだが結局走らなかった。マラソンを走ろうと思ったのも何かの縁、約20年の月日を経て今度こそ出場することに決めた。いつの間にかハーフマラソン完走がフルマラソン完走に変わり、そのためのトレーニング内容も考えるようになり、これはトレーニングの積み重ねと読んだ本の影響である。8月ごろからここまで色々な本を読んだ。その中でも最も役に立ったのは金哲彦氏著の「3時間台で完走するマラソン」と「マラソン練習法がわかる本」だ。何度も何度も暗記するくらい繰り返し読み直した。緊張したり疲れてくると人間はまともな判断ができなくなる。ジュビロマラソンで証明済みである。そんな状況の中で少しでもまともに思考回路が働くようにするためには知識を頭の中に詰め込んでおく必要があり、何度も何度も読んだ。このころから練習内容も記録し始めた。それから目標が無いと練習にも張りが出ないので無謀にも初マラソン、初サブフォー(4時間未満完走)を目指すことにした。これが後になって精神的苦しめられることになるとは思いもせず。
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by blue-shot | 2010-03-10 00:29


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