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2010年 03月 10日
目指せサブフォー、初マラソン完走記-2
早いもので12月になった。ランニングを初めて半年が過ぎた・・・。



11月初旬の腰痛のため佐鳴湖3周は1カ月後ろ倒しとなり12月1週目に初めて走った。走り方はLSD(ロングスローディスタンス)である。ジュビロマラソン以来、俄然やる気が起こり、土日の他にも1日か2日は平日も走るようになった。2週目には土日で35km、そのまま平日に坂ダッシュ、仕事帰りにはウォーキングと一気に距離を伸ばしたところ今度は右膝の内側が痛くなった。心肺機能の発達は筋肉の発達より早い。いい気になってどジョッグのペースを上げていたのだが膝が耐えきれず悲鳴をあげてしまった。基本的に膝の痛みは休めば治るものが殆どと解っていたのだが、12月3週目は妻との北海道旅行で走れないこともあり、旅行前日の金曜日に痛い膝を我慢して20km近く走った。翌日の旅行先、札幌では膝が痛くて歩くのもやっと。千歳のアウトレットに到着して真っ先にアディダスショップで膝のサポータを買ってその場で装着。タイツも購入したのだが膝痛は収まらず、散々な旅行になってしまった。その後フルマラソン当日まで右膝痛に悩まされることになる。1月3日の初ハーフマラソンが迫る中、年内は殆ど走れず焦りと不安の中、時間だけが過ぎて行った。

 年が明けた。年末から帰省したのだがランニングシューズを持っていって、妻の実家の近く、国道2号線沿いを7.5kmほどゆっくり走る。これまで読んだ本に習って骨盤の動かし方、足の着地位置、上半身の姿勢、フォームに関する覚えたことすべてを淡々と実行する。膝は痛むが随分ましである。ハーフマラソン完走に向け、少しだけ光が見えた。元旦には自宅に戻り9kmランニング、膝は痛いのは痛いが前よりは全然走れる。調子に乗って2日も走ろうとしたが、相変わらず膝が痛むので安静を取って1kmも走らないうちに家に帰った。クリスマス前からこれまでずっと膝には湿布を貼りっぱなしである。

ついに初ハーフマラソン当日を迎えた。今度は21.1kmのレースである。前回の倍以上の距離、膝に爆弾をかかえ満足な走り込みもできていない。不安要素は多くあったが不思議なことに慣れのせいか緊張感は前回ほどではなかった。とりあえず今回も完走が第1目標、次は2時間以内、そして3番目の目標は1時間50分以内とした。こんな風に考えるとその場で目標タイムを変更でき、変更した目標タイムは当日の調子で決めているので適度な高さ加減になり精神的に楽になる。それに今回は不本意なタイムでもまだ本番まで2カ月もあるし、そもそも練習の一環である。最悪リタイアしても、膝をさらに悪化しても治せるだけの時間はあると楽観した。膝には内外から湿布を張り取れないようにテープでぐるぐる止めていたのだが、着替える時に改めて見るとやっぱり心配になる。膝専用のテーピングを本番で初めて貼り、膝に不安を抱えながら時間通り初ハーフマラソンがスタートした。
今回はタイムロスが無いように前の方に並んだ。前回はチップを付けて走るのだから、スタートラインを過ぎてからゴールラインを超えるまでの正味時間が記録タイムになると勝手に思い込んで13秒も損をしてしまった。よく考えるとスタートの雷管が鳴った時にレースが始まり、ゴールラインを越えたときにレースが終わる。全く当たり前である。自分の都合の良いようにはなっていない。

今回も作戦は前回レース同様、最初の2kmはキロ6分ペースで走ろうと思っていた。しかし行けども行けども2kmの看板が無い。恐らく見落としたか、そもそも設置されていないかのどちらかだ。どんな大会でも2kmの看板が前回レース同様に大きく目立つように設置されていると何の疑いも持たず思っていた私はなんとバカだったのだろうか。まっこれも経験である。仕方ないので淡々と走るとやっと5kmの表示を過ぎた。タイムは25分38秒、スタートのタイムロスが少しあったが結構なタイムである。息も上がらず、膝の痛みも何故か判らぬが消えていた。おそらく湿布薬の効能が肌に残り熱を持つと同時に発汗によって血行が良くなり痛みが消えたのではと思う。何んにしろ痛み無く走るのは久しぶりで10km、15kmと5分5秒/kmペースを機械のように刻んだ。10kmまでは全然楽だった。目の前を走る適当な集団にはついて行けなかったがとにかくマイペースを守る。超ピッチ走法で走る女性を見ながら、「もう少しストライドを伸ばした方が楽じゃないの」なんて思いながら楽しく走れた。10kmからは少々息が上がってきたが苦しくはない。ちょっとだけ頑張ってペースを維持。15km、もういいだろうとペースを上げ出す。キロ4分台になった。人間の体は不思議なもので5kmという距離を意識していたため20kmまではしんどいながらもなんとか走れた。だが20kmを超えた残りの1.1kmになったところで急に足が重くなり、カッコよくスパートするつもりが全然できない。あげくに風は向かい風に変わり余計に前に進まない、歩こうと一瞬思うが誰も歩いていない。ゴール2~3km手前では歩いている人がいたが流石に1kmを切るとみんな走り出すようだ。このことも今回勉強になったが後の祭りである。それに歩くと確かに楽になるがこれまで築いたタイムが大幅に悪化する。仕方ないので我慢しながら息も絶え絶えゴールした。記録は1時間46分38秒。膝に爆弾を抱えながら走った割には上出来あったが、フルマラソン本番を考えると単純に2倍で3時間33分、ハーフでこれくらいの疲れなのだからフルだとこんなペースは絶対無理。なのでやはりサブフォーはぎりぎりだと思え、不安を感じる。

翌日、膝は思っていた通り、盛大に悪化した。階段を降りるときは手すりにつかまらないと痛くて堪られないほどだ。しばらくして数年ぶりに、ふと思い出したヘルニアの時に何度か診てもらったことがあるスポーツマッサージに行ってみた。先生は痛い所をいとも簡単につき止め集中的にマッサージをする。痛くて声が出そうになるがひたすら我慢。筋や腱は特に問題なく疲労した筋肉が筋を引っ張り神経を刺激して膝痛を発生させているとことが解かりほっとした。病院で診てもらうことも考えたが、走るのを止めるよう勧められたり、万が一走れないなどと言われることが怖くて行くことを躊躇った。原因は脚力不足による筋肉痛の延長にある痛みと解り、マッサージや低周波治療器、アイシングなどでケアしながら痛みを抑えれば走れると勝手に解釈し安心することにした。その後、1日1日の練習目的を意識しながら30km走や週末ペース走+翌日LSDなど精力的に走行距離を伸ばした。

2月の1週目は森町ロードレースである。家から近いこともあり前日にゼッケンを受け取った後、車でコースを下見してきた。パンフレットによるとひたすら北上を続け折り返し地点を目指すコースだったので、ひたすら登りをイメージしていたが、実際はアップダウンはそれほどでもなく、むしろぐにゃぐにゃ曲がるカーブの方が気になった。今回も前回ハーフ同様、妻に付いてきてもらった。前回は自分自身がよく段取りや流れが解っていなかったが、今回は2回目でコースも下見済みのため幾分余裕があり、妻にもあれやこれやと色々手伝ってもらった。一番助かったのはスタート直線まで体を冷やさないよう着ているウィンドブレーカーを受け取ってもらうことと、スタート直前まで水分補給するためのペットボトル持ちである。この日は2月上旬のわりに気温が10度くらいまで上がり走ると暑いくらいだった。直前まで水分補給していたおかげで脱水症状の心配は皆無で妻に感謝である。

そんなこんなで森町ロードレースはスタートした。今回もフルマラソンの練習の一環なので色々作戦を考えていた。1番目は、わざと序盤から突っ込み後半辛い環境を作り本番の30kmや35km過ぎを疑似的に体感すること、2番目はあくまでサブフォーを目指すためキロ5分40秒ペースで2時間を走り通すこと。3番目は今の実力を確かめるためベストを尽くすこと。考えはしたが答えは最初からわかっていた。3番目のベストを尽くすことにした。

今回は矢作川のように最初のペース配分が解らなくならないように目印を決めていた。切りのいい所で解りやすい目印が無かったので、解りやすい目印でタイムを設定した。キロ5分ペースである。スタート直後はかなり前方からスタートしたため速いランナーにどんどん抜かされて行く。それでも相当速いペースで走っていることは体感でき、目印の場所=1.7km付近では45秒も速い、速すぎる。5kmのラップタイム22分23秒、1kmを4分29秒で走っていた。練習でも走ったことが無いスピードに驚き、慌ててペースを落とした。ペースを落としたため後ろを走っていた若い女性に抜かれた。丁度その時、追いついてきたその女性の友達らしい同じく若い女性ランナーにも抜かれ、彼女達の「わぁ~○○ちゃん、速いね~、やっと追い付いたよ~、今日は暑いね!」などなど他にもキャピキャピな会話を耳にしながらあっさり置いて行かれ、2度と追い付くことは無かった。
5km~10kmはペースを抑えたが 23分22秒は私にとって充分に速いペースであった。途中、早や折り返してきた先頭ランナーとすれ違ったのだが、締まった体、無駄の無いフォーム、異次元のスピードにほれぼれしながらひたすら折り返し地点を目指す。ペースは速かったがそこそこ余裕を持って折り返し、いよいよ後半突入である。10kmまでを抑えたつもりだったので気分的に余裕があり、ペースを上げることにした。途中少し年上と思える方と並走したが、やたら荒い息づかいだ。10kmを過ぎると走っているランナーも相当バラけてくる。そんな中で近くを走っている人はその時点では自分と同ペースの人である。耳障りだがペースが同じだから抜きたくても抜けない。給水所を利用していったん先に行ってもらい、水を補給したところで一気に抜き去った。一緒に走っているとこっちまで息が乱れる。10km~15kmは、5km~10kmの反動が出て21分49秒であった。
レースも終盤、残り6kmちょっとになった。前半のハイペースがたたり体中にもうエネルギーは無い。後は気力と惰性で走るのみの状態だ。不思議なことになぜか走るエネルギーが切れかかると色々考え出す。レース前半は「このペースで走ればどれくらいの記録になる」と完走タイムを気にするが、後半ばててくると、「このペースで走ればあと何分で苦しさから解放される」と残り時間が気になる。また、辛さもずっと続くのではなく、辛くなったり無くなったり。前回、矢作川同様に周りが良く見える。沿道には地元の人達が「今年も走ってくれてありがとう、来年も来てね」と呼びかけてくれる。疲れて返事はできなかったが、自分たちの町を大勢のランナーに走ってもらう気持ちは十二分に感じ取れた。とても安らかな気持ちで一路ゴールを目指す。
天竜浜名湖線の高架をくぐり残り1kmを切った。疲れている体に鞭打って走るが抜く以上に抜かされる。ジュビロマラソンや矢作川ハーフのゼッケンは胸だけで、背中のゼッケンはなかったが、森町は背中にもゼッケンを付けている。2000番台は20歳台、3000番台は30歳台と、抜かれた人の年代が解る。20・30歳台は若いのだから抜かれても仕方ない、40歳台は私より練習をしているのだろうと諦める。50歳台・60歳台に抜かれるととても悔しく思うが実力の差を思い知らされる。自分より10才近くまたはそれ以上年上の方に抜かれて行く。市民ランナーのランニングとは年齢はあまり関係ないのだとのんきに思う。ラストはまた歩きたくなるが前回同様、誰も歩いておらずとにかく走り続ける。今回もラストスパートはできそうもない。堤防沿いを離れ、あと数百メートル、スパートとは言えないがとにかく速く走ろうとした。ゴール手前で妻が何か言っていたが良く分からなかった。記録は1時間35分20秒、初ハーフの記録を1カ月で10分以上更新した。

翌週の週末には最後の追い込み練習をする予定だ。ここまで毎週走ってきてかなり疲れがたまっているが30kmを走り切って、後は本番に備え調整に入る。土曜日は調子を見るため佐鳴湖2周を軽く走る。膝の痛みは問題ないレベルである。そして日曜日、キロ5分くらいのペースでの30kmに挑戦。ハーフを4分30秒/kmで走ることができのだから大丈夫だろうと考えた。2周11.6kmまでは問題なかったが3周目からきつくなった。だがこんなところでは止められない。4周目に入りますますきつい。呼吸も足もどちらもつらい。あと1周走れないことは無かったが、ペースの維持は無理と判断し4周23.2kmで切り上げた。考えがあまかった。ハーフの疲労がまだ残っていた。最後になって不安を残しながら高負荷の練習を終了した。第3週は土日で2周+1周を軽く走るが大腰筋と腸骨筋が痛く、そのため足の付け根の筋肉まで痛くなっている。スポーツマッサージでほぐしてもらうが完全には痛みが消えない。平日の簡単な筋トレも止め、夜に走るジョッグは短めかつ超スローにして回復を待つ。
2月も最後の週末になった。当選していれば東京マラソンを走っていたかもしれない週末である。そして本番1週間前。大腰筋と腸骨筋はかなり回復してきた。膝も練習後のアイシングとマッサージのお陰で痛みは消えた。今さら負荷をかけて練習しても疲れるだけなので土曜日はレースペースで佐鳴湖を2周だけにする。11.6kmを予定通り走るが、息がちょっと上がるのが気にかかる。家に帰ってこれまでの練習記録を確認するとしんどいはずであった。直近のレースペースを元に練習のタイムを決めたのだが、これまでで2番目に速いタイムであった。過去を振り返らず直近のハーフマラソンでのタイムだけを参考にペースを決めたのが速すぎた。前週のしんどさも疲れ以外にスピードの出しすぎも関係したのだろうと思う。それでもここまできて、何気にそのスピードで走れたと少し安心する。

by blue-shot | 2010-03-10 00:31


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